10/27ルツェルンへ
10/28に開催されるスイスシティマラソンに出るため、スイスはルツェルン(Lucerne)へ。ライプツィヒ・ハレ空港からチューリッヒ空港へ飛び、その後ルツェルン中央駅に向かった。
側面に印字されているSBB CFF FFSという文字列は、「スイス連邦鉄道」をドイツ語・フランス語・イタリア語で表記したときの略称らしい。公用語が複数あるとこうなるのか…とちょっと驚いた。
マラソンのエントリー費に往復の交通費が含まれているらしく、鉄道のチケットを買う必要はなかった(ユングフラウマラソンの時とおなじ)。その代わり、自宅で印刷したSwiss Runners Ticketを持っていった。
1時間ほどでルツェルン中央駅に到着した。生憎の雨模様。ついでに寒い。
ルツェルンの市街地図は以下の通り。地図中「ルツェルン」と書かれた文字の「ルン」のあたりが中央駅。
まずは有名な観光名所であるカペル橋(Kapellbrücke)へ歩いていく。中国人とおぼしき観光客がたくさんいた。
ヨーロッパで最も古い木造橋らしい。屋根の内側には様々な絵が飾られていた。橋の真ん中の水の塔(Wasserturm)のあたりに土産物屋さんがあった。欧州最古の木造橋の上でお店を開くその発想がすごいと思った。
カペル橋を渡り終えてから少し北西へ歩き、お次はシュプロイアー橋(Spreuerbrücke)へ。Spreuはドイツ語で「もみ殻」という意味で、これはシュプロイアー橋がルツェルンで唯一もみ殻を捨ててよい場所だったことに由来するらしい(Spreuer Bridge - Wikipedia)。
渡り始めてみると、華やかなカペル橋とは打って変わって暗い雰囲気。上を見ると“Danse Macabre”(フランス語で「死の舞踏」、Danse Macabre - Wikipedia)という様式の一連の絵画を鑑賞することができる。絵の中に必ず1人は骸骨が描かれていて不気味だった。
この「死の舞踏」という絵画様式は、死の普遍性をテーマにしているらしい。飢饉、百年戦争、欧州全土でのペストによる大量死がこの絵画様式の成立の背景にあるようである。堂々とそびえ立つ山々、白鳥が静かに泳ぐ湖に囲まれたこの美しいルツェルンも、かつては疫病や戦争に悩まされたのだろうか。にわかには信じがたい。
シュプロイアー橋をわたりきった後はムゼック城壁(Museggmeuer)に向かう。塔と城壁から構成され、幾つかの塔では上階へ上ることもできる。
マラソンを控えているしできるだけ脚に負担かけない方がいいかなと思いつつ、好奇心に負けて塔に上る。Männliturmの最上階からはルツェルンの町並みを一望することができた。
城壁の脇の草っぱらには牛がいた。
一通り城壁を見終え、日没が迫ってきたところでマラソンのEXPO会場(Hotel Schweizerhof Luzern)へ。途中で日本の居酒屋を見かけた。
久しく中ジョッキでビールを飲んでいない。ふらりと立ち寄りたい衝動を抑えてEXPOに向かう。例によってパスタパーティーが行われていた。粉チーズをできるだけかけて食べた。
プロテインドリンクがただで提供されていたため、3本ほどもらった。会場でやることも特にないため、早々に退散。宿泊先へ。
EXPO会場からルツェルン湖に沿って3キロちょっと歩くと宿泊先に到着する。湖では白鳥をまぢかに観察することができた。ときどき尻尾を振る様子がなんともかわいらしい。ここ最近の鬱屈した気持ちが晴れていくように感じた。
しかしまあ水も凍ろうかという気温の中、よく悠々と泳いでいられるなあと思った。
右手に白鳥を見ながらのんびり歩くこと1時間弱。宿泊先であるHotel Seeburg Luzernに到着した。フロントで軽く説明を受け、部屋へ。残念ながら湖に面している方の部屋ではなかった。3泊するしどうせなら湖が見える部屋が良かったな、と結構落ち込んだ。気を取り直してEXPO会場で受け取った荷物の中身を確認する。
絆創膏が入っていたのには驚いた(ゼッケンの上)。今までマラソンの大会には20回ほど参加しているが、絆創膏をもらったのはおそらくはじめてである。大会の協賛企業であるcoop(スイスで有名なスーパーマーケット)の布ぶくろは何かと役に立ちそうだと思った。
そのあとシャワーを浴び、マラソンの準備をして寝た。