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4/2日常

コロナ禍の煽りを受けて外出自粛となり、研究室もテレワークになったので、息抜きついでに日記を更新しようと思う。備忘録を兼ねて。

新年度が始まり、D3になった。長かった学生生活の最後の1年になるが、あまり実感が湧かない。自分がB4で研究室に配属された時の偉大なD3の先輩方の姿を思い返すと、自分が「模範的な」D3であるかどうかは疑わしい。自分は本当に博士号をとっていい人間なのだろうか、もっともっと身に付けるべき能力があるのではないだろうかなど、思う所はたくさんある。

B4で研究室に配属され、テーマをもらった時のことは今でもはっきり覚えている。新奇物性の発現、新規物質の合成など魅力的なテーマをいくつか提示されたが、僕が考えたのは「難しそうなのはやめよう」ということだった。根拠としては、自分の頭がそこまで上等ではないと自覚していたこと、最初は簡単そうな物質で実験して実験技術や研究のいろはを自分の中に叩き込む必要があると考えたことの2点がある。分不相応な難しいことをいきなりやって成功する道理はない(実験系ではビギナーズラックも少なからずあるけれど…)。合成・解析が簡単かどうかなど当時B4の僕に判断できるはずもなかったので、構成元素の数を判断材料にした。そこで、3元系などの多元系物質ではなく、2元系の物質を研究対象として選んだ。僕の場合、この判断は間違っていなかったと思う。

5月頃から与えられたテーマをもとに実験を開始した。とはいえ、最初は何も分からないので先生や研究員さん、博士の先輩に言われた通りに手を動かすだけ。それでも、扱う装置が全部目新しくて新鮮で、毎日わくわくしていた。超高真空下での薄膜合成、1000度を超える高温での粉末焼成など、初めて経験することばかりで実験が楽しかった。そんな中である日先輩が「1年のうちで研究が楽しいと思える日はあるとしても5日」「B4が一番実験を楽しめる」と仰っているのを聞いて、失敗してもなるべくめげずにいようと決めたこと、毎日大事に過ごさないとなと思ったことを覚えている。テーマを始めて半年ほどは全く結果が出ず、毎週のプレゼンも物凄く緊張して臨んでいたのだが、まあ楽しかった。実験して飲んで皆で騒いで、という毎日。実験ではひそかに「博士の先輩に負けないくらい頑張りたい」と考えていて、飲み会で実験のコツとかを教えてもらったりしていた。進路については、修士のあと博士課程に進もうか就職しようか迷っていた。

M1の前半でB4のテーマをまとめ、M1の9月頃になって同じ物質で新テーマを開始。同時に外資系の会社の就活を始めた。とりあえず面接の練習にもなるし、落ちたとしても日系メーカーがまだ残っていると考えての行動だった。博士課程は就職難かつ将来お金が稼げない、そして「普通」ではないと思っていたため、なんとなく進路の選択肢から消していた。ここからM2の5月までが大変だった。外資系の就活は全滅し、気付いたら日系メーカーの面接が開始。企業説明会に行っても、企業研究の何が楽しいかが分からない。日系メーカーの選考もどんどん落ちてゆく。自分より遅く就活を始めた同期が内定を取っていく。いつの間にか本業の研究もおろそかになっており、M2なのにB4の時の自分より実験量が少ない。「僕は何をしているんだろう」と自己嫌悪に陥る。しぜん、家族・研究室の周りの目も冷たくなる。M2の5月末、「これに落ちたらもう後がない」と思って大阪で受けた会社の最終面接に落ちた。

僕の中で「就活失敗博士課程進学」はいちばん避けたいルートだった。まず長々と就活を続けておいて全滅するという点が非常にかっこ悪い。加えて、博士課程は研究をしたい人が行く所であり、決して就活に失敗した人の受け皿ではない。また、博士課程に進んだとして、僕は就活によってM1後半~M2前半という長期間を「失って」いるのだから、能力的にも博士課程を乗り切れる気がしない。

持ち駒がなくなって八方塞がり、自分にとって最悪に近い状況になり、そこで初めて就活を通じて感じていた違和感に気付いた。そもそもB4で2元系のテーマを選んだのは「自分に研究や実験技術のいろはを叩き込むため」であり、その基礎を活かした挑戦的な研究はまだできていない。企業でそんな研究ができる見込みもない。自分で研究をデザインし、四苦八苦してテーマをまとめ上げたことがない。面白いけど高難易度なテーマに全力でぶつかったことがない。好き勝手実験してみたい。そういったことがどこか心残りだった。そう考えて博士課程進学を決めた。

いくら御託を並べたって就活失敗博士課程進学であることに変わりはない。自分を納得させるという意味でも自分自身を「博士課程学生」としてqualifyする必要があった。そこで、自分勝手ではあるがD1の間の1年間、海外の研究室に行くことに決めた。海外に行っただけでは意味がないと考えていたので、自分主導のテーマを成功させ、論文なり学会なりといった形にまとめようと決めた。かなり難しいテーマを選んだのだが、案の定合成+αくらいしかうまくいかなかった。だが、結果的に学会には出せたし、論文としてもなんとか出せるかなという感じにはまとまった。

D2の最初に日本に帰ると、研究室ではいつの間にか自分が一番上の学年の学生になっていた。実験するかたわら、博士学生として研究室の後輩たちを眺めて頭に浮かぶのは、かつての自分と偉大な博士の先輩方の姿である。彼らにとって僕はどう見えているのか。僕の発表、実験をどう見ているのだろうか。かつての先輩方には及ばずとも、何か刺激を与えられているだろうか。

そして今にいたる。論文の草稿を書いても赤ペンだらけになるし、発表の構成は油断するとぐちゃぐちゃになるし、自分で考えたテーマは失敗続きである。B4のテーマ選びに始まりM2での就活失敗を経て、「模範的な」D3に今なれているか、博士号を取るに値する人間にこれからなれるのかどうかはまだ分からない。

以上、B4で選んだ思い出深いテーマの論文が昨日アクセプトされて思い出したことだった。